ねこちゃんの占星術

ねこちゃんの視点で占星術の面白さを語るブログ

ホロスコープが読めない原因は、たぶん知識不足ではない

 

こんにちは。
「ねこちゃん先生」こと、占星術家の竹内俊二です。

先週、全8回の「ねこちゃんの占星術講座 ネイタルチャート編」が終了しました。

第6回〜第8回の「アスペクト」が最も参加者が多く、ZOOM、動画受講、対面を合わせて15名の方が参加してくださいました。本当にありがとうございました。

今年の2月から5月まで、2週間おきに開催してきたものが一区切りしたので、今は次にやることを考えています。

(ちなみに、アイキャッチの写真は愛知県の竹島です。最終回のZOOM講座の2日前に行ってきました。)

 

 

※ これは現代占星術(モダン占星術)に関する話です。

 

占星術講座を受講する目的は、ほとんどの場合「ホロスコープが読めるようになること」だと思います。

しかし、「何年も占星術を勉強しているのに、ホロスコープを読めるようにならない」「知識はあるはずなのに、いざお客さんのホロスコープを前にするとわからなくなって、頭が真っ白になってしまう」という話をしばしば伺います。

ホロスコープが読めない原因は、おそらく知識不足ではありません。「ホロスコープを読むという行動」の不足です。

僕が考える「ホロスコープを読むという行動」とは、お客さんから正式に依頼を受けて、約束の時間が来て、人間が目の前(ディスプレイの前)にいる、という「場」が整った上で、ホロスコープを介して相手と対話をすることです。

 

 

この「ホロスコープを読むという行動」には勇気が必要です。

僕も不安になります。毎回「この配置、どうやって読むんだろう〜」と悩む箇所があるので、事前に下調べをします。それで知識としてはわかっても実際のところはどうなのか、正直わからない。

そういう、いくつかの保留状態を頭の片隅に置いたまま、約束した開始時間が来ます。もう引き返すことができないタイムリミットが来て、内心ドタバタしながらも、意識を専門家の自分に切り替えます。真剣な「場」に踏み込んで行きます。それがセッション前のいつもの僕です。

 

 

しかし、セッションが始まるとだんだん楽しくなってきます。対話の中で具体的な情報を受け取ると、それが引き金となって保留状態だった配置が色彩を帯びて、命を持って動き始めるように感じます。ホロスコープに引き込まれ、その人物の固有の魅力に引き込まれていきます。偶然の一致や、象徴が内包する広がりに、心を動かされます。

読みながら、読み方がわかってくる。その解釈を口にした自分に、読み方を教えられる。セッションでは、そういう謎なことが起こります。

そしていつもセッションが終わった時には「やっぱり占星術は面白いな!」「人間って素晴らしい!」という感動に包まれます。それが、僕が占星術を信じ、占星術を続けているモチベーションの1つになっています。

 

 

一人で漫然とホロスコープを眺めている時、つまり目の前に誰もいなくて、差し迫っていない状況では、なかなかそういうことは起こりません。(僕にメール鑑定ができない理由はそれです。)

対話や場の力を借りることで、ホロスコープの解釈は完結します。逆に言えば、そういった必然性なしに、「ホロスコープが読める」経験はできないのではないかと僕は考えています。

 

 

さらに言えば、占星術のセッションは、占星術師とクライアントが「お互いが何かを差し出す」ことで成り立つもの、と僕は考えています。お金を支払っているクライアントも、セッションの重要な一部であり、役割があります。

クライアントの役割は、必要な情報と心を開示することです。出生情報だけでなく、相談の具体的な内容や、近況や、希望や意志を伺うことです。それは極めて貴重なヒントであり、セッションに命や「流れ」を与える動力源です。

もし仮に、何も開示するつもりがないクライアントがいたとしたら、僕はうまく読むことができないと思います。(もちろん、そうしやすいための安心できる場や信頼関係のきっかけを作ることは、占星術師の仕事の一部だとは思います。)

 

 

自分の占星術講座などでは「まずは家族や知人のホロスコープを読んでみましょう」と言っています。それはアウトプットの反復練習して知識を定着させるためでもあります。しかし、それはおまけです。

ホロスコープを介して話をしてみた時の、不思議な「なるほど〜!」「そういうことか〜!」という不思議な楽しさを経験をしていただきたいからです。それはあなたを占星術の広大な世界(あるいは深い沼)に引き込み、夢中にさせるはずです。

 

 

にもかかわらず、「ホロスコープを読むという行動」に踏み出せない、「読めない」という声をたくさん耳にするのはなぜか。

「相手に間違ったことを言ってはいけない」という高い高い心理的なハードルがあって、それがホロスコープを読むという行動を妨げてしまっているのではないか、と僕は予想しています。

占星術には「正しい解釈」は存在しません。絶対的に正しいという証明はできません。(占星術は統計的、科学的な証明にはそぐわない面がたくさんある、それだけでは本質を語りきれないジャンルです。)

ということは、理屈として「絶対的に間違った解釈」も存在しないことになります。絶対的な間違いであることもまた、証明できないのだから。セッションの場でホロスコープを介して語られた言葉には、必ず何らかの意味がある(信じることによって意味が生じる)はずだと、個人的には考えています。

しかし、これはただの屁理屈かもしれません。

「お客さんからお金を頂いているからには、ちゃんとしたことを話さなくては」「ハズレと言われたくない」という気持ちはとてもわかります。だから今でも僕は、下調べなしにセッションができません。

 

 

「ねこちゃんの占星術cafe(ねこカフェ)」の目的の一つは、参加者が人前で解釈をするという経験ができる、安全な場所を作ることでした。でも結果的には、ほぼ僕一人が解釈をしていました。(無駄話をしにくい雰囲気は、オンライン特有のものかもしれません。)

それでも何か役に立つ経験をしていただけたのならばやった価値を感じて嬉しいのですが、改めて「人間を前にして解釈をすることは、とてもハードルが高く感じるのかもしれない」と感じました。

 

 

どうしたら、もっと気軽に「ホロスコープを読む」ことができるのか。僕がどういうメニューを用意したら、"正しくなければ" の心理的ハードルを越えて、読む楽しさを実感できて、万年「ホロスコープが読めない」状況を脱出させられるのか。それを考えています。

自分で言うのもなんですが、度重なる改善によって、占星術講座の中身はなかなかの完成度に到達したように感じます。しかし、僕の一方的な努力によって「だけ」では、参加者の願いである「ホロスコープが読めるようになる」状態を作れないことも、はっきりとわかってきました。

 

 

神社にねこがいました。
ねこ様。僕に知恵を貸してください。