こんにちは。占星術家の竹内俊二です。
久しぶりにブログを書きます。
3日前に見た夢がとても印象的だったので、それについて書きます。僕が占星術について最近ずっと考えている事を要約したような内容です。
夢の内容
シーン①
僕はアンティークな雰囲気の天井の高い喫茶店にいます。大きな窓があり、その窓にはステンドグラスがはまっています。外から光が差し込んで美しく光っています。僕はそれに見とれて「なんと美しいのだろう」と思っています。
シーン②
僕は池のほとりにいます。池にはカモがいて、僕はスマートフォンでカモの写真を撮っています。しかし、何度やってもカモがどアップになってしまい、写真は即座に壁紙になります。何度やり直しても同じで、カモの全体像が取れません。僕はもどかしくて苛立っていますが、「そのようにしか写真は撮れない、仕様なのだ」と納得させようとしている。
夢の解説
「シーン①」のステンドグラスの光は、僕にとっての占星術の象徴(ホロスコープに描かれているサインや天体などの記号)だと思います。
象徴それ自体は地上のどこにも存在しません。例えば、「射手座」という物体は地上のどこにもないが、出生図の何かの天体や、時期的な流れ、出来事の中に、間接的に確認できるのみです。
象徴は絶対に捕まえられない。しかし「誰の、どこに」含まれているか、「いつ」それの傾向が強まるのかだけは、ホロスコープを通して確認できます。それは壮大で精密で不思議で、謎に満ちていて、美しいものです。僕はそれが知りたいし、近づきたいのです。
「シーン②」は、占星術講座やセッションの光景です。どアップになっているスマートフォンの画面は、解釈する言葉です。占星術の記号だけを見せても、意味は伝わりません。なので、具体的な言葉に翻訳・変換するのですが、そのためには、象徴を細かく具体的に切り分けないといけません。
別の例を出します。
日本を全く知らない外国人に、「日本とは◯◯な国だよ」と説明するようなものです。日本の何が、日本を代表する要素なのか。日本っぽい都市は京都なのか、東京なのか。地理的な特徴、歴史、国民性、文化、テクノロジー、偉人や有名人、政治家など、どれも日本の部分的要素ではあるけれど、どれかだけでは日本を完全に補完できません。
「象徴、シンボル」=ステンドグラス、カモの全体像、日本
「具体的な言葉、解説」=どアップのカモの写真、日本の個別の説明
夢の解説に戻ります。たくさん部分部分の写真を撮れば、いつかはカモの全体に近づきそうですが、果てしなく続きます。見れば見るほど、部分ごとの詳しい情報が見えてきて、全体から遠ざかってゆくような気もします。
象徴そのものは、物理的には存在しない。象徴が部分的に含まれた断片から、象徴という原本を推理するしかありません。
講座の準備で最も難しいことは、実例として紹介するホロスコープを選ぶことです。画像の人物(敬称略)は、今僕のKeplerに入っている牡羊座に太陽がある有名人ですが、この中から1人代表例を選ぶとしたら、一体誰が最も牡羊座の太陽らしい人なのか。どうしても僕の興味のある分野の人に偏ってしまう。 pic.twitter.com/DRw4rD9Zr0
— 竹内俊二@ねこちゃんと占星術 (@soranoiro333) 2019年1月14日
これは昨日のつぶやきです。
牡羊座の太陽の特徴を知るために、牡羊座の太陽の実例をたくさん集める。すると、個人個人の違いが見えてきます。しかしそれにつかまらず、最大公約数的に、全てに共通する、その奥にある何かが牡羊座の太陽です。
「牡羊座の意味は◯◯です」と簡単に言葉で言い表せるものではありません。牡羊座について何か断定的に言い切った瞬間に、その他の全てがこぼれ落ちます。
また、僕の主観も必ず混じります。僕は僕の出生図を通してしか、考え、発言できません。その偏りの色眼鏡は意識して防ごうにも、限界があります。それが誤解を生む可能性があります。
ですが、そういう過酷とも言える条件下であっても、解説しないことには相手に伝わりません。
「そのようにしか写真は撮れない、仕様なのだ」と納得させようとしている。
というのが、ここ数ヶ月の心境です。
象徴の面白いところ
象徴には力があります。
象徴は、膨大な情報をシンプルに1つの記号でまとめています。そのため、そこには特別な力がぎゅっと詰まっているように思います。
僕は、例えば創作物やドキュメンタリー映画などを見た後に、その人のホロスコープを見ると感動が2倍になります。「この特別な個性や偉業などは、何に由来するのか」という、核がわかるからです。
ホロスコープを見なかったら「そういうすごい個人」という所で終わりです。
しかしホロスコープを見ると、同じエッセンスを持つ別の人にも、その傾向が見て取れる事がわかるわけです。そうして、自分の中の象徴が豊かに育っていきます。
一言では語れない象徴に、語りたい例が増えていきます。それが楽しい。
僕は、占星術と出会う前は、人に興味が持てませんでした。僕とは何一つ共通点のない、完全な別の存在だからです。しかし占星術と出会って、人に興味が持てるようになりました。その人の核にある何かに興味があるからです。それを知ると、一層その人への理解が深まります。
人に対する余計な期待や怒りを持ちにくくなりました。この配置だったら(良くも悪くも)仕方ないかと思えるからです。
大げさに言うと、占星術は僕が外部の世界に関心を向けるきっかけを作ってくれました。物理的にはまったく別々の存在であっても、その背後にある象徴の組み合わせにおいては、共通する人がこの世界に一定数存在する。
共通の特徴ではなくとも、どこかの誰かの何かは、自分と相補的に関連しあって存在している。それは不思議です。
占星術の理解を深めるために
占星術の理解を深めるためには、興味を持った人物の実例を見ることがよいと思います。
逆に、あまり意味がないと思うのは、解説文を暗記しただけで満足し、考えるのを停止してしまうことです。そこには感動がありません。リアリティーもありません。(もちろん、基本的な概念やキーワードの暗記は大事です。それがないと、情報を整理できないので。)
「この人のこの行動は、この配置がさせているのか!」という発見が、象徴の理解を定着させる助けになるはずです。
人に興味を持つこと。そして、その人のどの配置がそうさせたのかを、注意深く、ソムリエのように、ホロスコープの配置の中から切り分けて考える。それを繰り返していくと、いつしか、単なる記号だった占星術の象徴が深みを持って定着し、あなたに定型文じゃない言葉を語らせる資源に変わります。
以上です。
お知らせ
3/21(木・祝)に名古屋の「ウインクあいち」で1日講座をします。
占星術の最初の壁であるアスペクトに関するご質問に答えまくる3時間です。また、最低限ココだけは外せないというアスペクトの基本ルールもお伝えします。